登山記録

登山の記録です

2025-04-26~30 屋久島探検

■2025年は島と、海外に行こうと思っていた。まずはゴールデンウイークどうしようか。

とりとめもなく調べていると、屋久島・宮之浦岳にいきついた。
一体どうすればいいのか…とりつく島のない中色々調べると、段々と島の全体像が分かってきた。
特にYAMAPの縦走記録が役立った。もろもろ調べてコースを定め、航空券と宿を予約した。
フリープランのツアーにすることも考えたが、登山口が固定されてしまうのと、使わない宿を予約するのが申し訳なく今回は個々に予約した。
4月に入り、ふと後輩のKくんに声をかけた。しばらく経ち連休2週間前位に来るとなり、今回は二人で屋久島を巡ることとした。
4月は色んなことが起きて辟易してきたが、これを楽しみになんとか乗り切れたのだった。
 
■今回のコースは以下。
1日目は羽田空港から鹿児島空港経由で屋久島に入り、主要2港の1つ、安房港辺りに泊まる。
2日目はタクシーで淀川登山口へ向かい、宮之浦岳を通りその奥の永田岳を越え、鹿之沢避難小屋に泊まる。
3日目はゆるゆると歩くつもりで、新高島小屋か高島小屋で泊まる。
4日目は縄文杉を越え、白谷雲水峡へ下山する。宿泊はもう1つの主要港、宮之浦港とした。
5日目はボーっと過ごして羽田に帰る。
山メインで4泊5日。長いが移動と山ばかりであっという間の行程だった。

 
■ここで、今回調べた屋久島登山事情を共有する。
・主要登山口は、白谷雲水峡、荒川登山口、淀川登山口の3つ。他にも沢山登山口はあるが、バスが通っておらず人も少なそうで上級者向けという印象。
・荒川登山口はバスが最も早く出ており縄文杉に近い。白谷雲水峡は、バスも考えると縄文杉に2番目に近い。どちらも縄文杉トレッキングツアー客が多く入る。
・淀川登山口は標高が最も高く、宮之浦岳に近い。バスがあるが出発が遅い。到着してすぐバスに乗り、登山口から40分程度歩いた所にある淀川小屋に泊まるのが最も効率的な動きになる。
・レンタカー利用が盛んだが、どこも駐車場が少なく大変そう。何よりピストン必須。
・淀川登山口にはタクシーで約8000円(今回は7340円)、いけないことはない。
・白谷雲水峡はここ自体が見所ある場所で、13時台と16時台に帰りのバスがでている。
→総合して、今回は淀川登山口から白谷雲水峡に抜けるコースを二泊三日で歩くことで屋久島の山を満喫しようと考えた。
なお、山中にあるのは避難小屋のみで山小屋はない。避難小屋にはテントが張れるようになっている。

 

屋久島の山で泊まる際の必須アイテム4選

1.浄水器

 登山道中の水場は原則小川なのであると安心。水はかなりおいしかったものの、直に飲むのに抵抗がある方は持参するべき。

2.携帯トイレ

 避難小屋は原則携帯トイレしか使えないので持参必須、とあった。ただ、いざ来てみるとそれだけではなかったので、泊数分あれば足りるのではないかと思った。

3.トイレットペーパー、ティッシュ

 トイレはあれど紙はほぼ置いていないため必須だった。

4.カラビナ

 屋久島の避難小屋では、ネズミに食い荒らされないように食糧を吊り下げるのが望ましい。紐やフックが沢山あったので、引っ掛けることができるようにカラビナを数個持っていくと役立つだろう。


★ガス缶(OD缶)事情

 屋久島空港でもガス缶を販売していたが、売り切れの場合や大きいガス缶しかない場合があるため、主要2港付近で入手するのがベターである。私が確認した販売場所は以下のとおり。

1.宮之浦港エリア

 スポーツ用品店「ナカガワスポーツ」やお土産物屋「屋久島観光センター」で販売していた。

2.安房港エリア

 登山用品店「山岳太郎」で販売していた。尚このお店では屋久島限定モンベルTシャツも販売している。宮之浦港エリアには売っていなかったため、買い逃さないよう注意されたい。

3.その他

 鹿児島から船で移動する場合は、モンベル鹿児島店などで購入するのがよい。

 
■GW前日まで万博にいったり、名古屋で自分主催の懇親会があったりと目まぐるしく過ごしていたその前の週に治りが悪い風邪を引いたこともあり大変不安だったが、初日の飛行機を11:55発としたことで事無きを得た。
羽田のゴールドカードラウンジは最低限だったが、鹿児島空港のラウンジは焼酎が置いてありアツい。芋のソーダ割りが最近好きで、ようやく焼酎を楽しめるようになった。
今回乗るのは小型プロペラ機。いいビジュアルである。
飛び立つとあっという間に着陸態勢に入った。右手に屋久島が近づいてきた。想像したより、はるかに大きい。これに登るんだなとしみじみ思った。九州最高峰であり、西日本最高峰の石槌山と比べても50m程の差。納得の迫力である。

 
16:20くらいに屋久島空港に降り立った。今まで見た空港で一番小さい。荷物も手渡し式でカルチャーショックだった。
空港にガス缶が売っていると見たが、デカいのしかなかった。
 
そして安房港に行くバスが17:13発…何もないところでボーッと待った。スズメがちょろちょろしており、島でもいるんだなーと思った。
 
バスに乗り警察署前で下車、安房港側の登山用品店、山岳太郎へ行く。
中は広く品揃えが良かった上、屋久島オリジナルのモンベルTシャツが売っていた。宮之浦にもあるかと思ったら、なんと山岳太郎限定だった。買い逃しがないように…。
なお宮之浦にはノースフェイスの限定Tシャツがあった。コットンなので山には向かないのと、デザインは普通だった。
 
また、ガス缶は豊富にあったので買うならここだなと思った。18:30閉店につき要注意。ここでは携帯トイレのみ購入。(ガス缶はKくん頼んでいた。) 宮之浦側でもガス缶は山道具屋やお土産物屋で買える。泊まる宿によっては、他の登山客が置いてったガス缶を貰えるかも。
 
安房港で泊まるところを探しているときは沢山飲食店がある感じだったので、賑わっているのかと思いきや全くそんな雰囲気はなく、民家の間に民宿やお店が点在している形だった。
今回泊まった場所は値が張ったが相応の満足感でよかった。オーナーの本業がパチンコホール経営ということで、なぜかパチンコ業界に詳しくなった。
18:30に高速船で安房港にきたKくんと合流し、安房港唯一のスーパーのコープで買い出しする。
Googleマップの営業時間は19時までだったが、3ー10月までは20時まで営業だそうで一安心だった。品揃えは良い。鳥刺しが売ってたのは鮮度に自信ありすぎる。
 
19時半、安房では有名という焼肉屋のれんが屋へ行った。この日は予約でいっぱいということで…予め電話しておいて本当によかった。

ヤクシカが食べられるのがウリであるが、縄文牛やふつーの牛も大変おいしく大満足だった。シカのハツはレバーとハツの間の子くらいで満足感があった。鳥のせせりも美味、鹿児島、肉がうますぎる。
帰りにもう一軒寄り海鮮茶漬けを食べて宿に戻った。宿ではオーナーがなみなみコーヒーを淹れてくれてよかった。
 
■2日目、7時にお願いしたタクシーに乗り淀川登山口へ向かった。タクシーはこの日ひっきりなしに呼び出されているそうで、宿の人経由で予約しておいてよかった。
この時間で登山口駐車場は車が溢れており、目の前にいた車も戻りようのない場所でUターンしていた。今回の旅は、備えたプランが軒並み当たっていた。
 
淀川登山口には水洗トイレがあり助かった。準備をして登山開始。静かな森歩きだ。淀川小屋を越えたあたりから、いよいよ世界遺産指定エリアに入る。木々が迫るようで何より空気が澄んでいるように感じる。湿度は高いが全然嫌な感じではない、いい空気だった。

しばらく歩くと、花之江河という湿原についた。日本最南の高層湿原だそうで。まだ雪解けたばかりかな?という雰囲気だった。梅雨以降のシーズンがよさそうだ。
ここからズドンと登る山が見えたので、気分が良かった。
 
ペースも良かったので、寄り道して黒味岳に登った。宿のオーナーも、タクシーのおじさんも「黒味岳の景色が一番いいぞ」と言っていた。
分かれ道に荷物をデポして登る。道はロープをよじ登る箇所もあり結構険しかったが、空身なので楽しく登れた。
登る程に巨大な奇岩が近づいてくる。山頂に着いた。でっかい岩をよじ登ると、そこは屋久島の中心だった。
大きな峰が3つ連なっている。あれが宮之浦岳と、道中の安房岳などだろう。山々の奥には水平線が見える。大きな山々の奥に一面の水平線が見えるのは大変不思議な感覚だった。ただ黒味岳は爆風だったため、そそくさと降りて先に進む。
 
宮之浦岳への道中は、緑の中の木道を抜ける気持ちのいい道だった。前も後ろもでかい山と奇岩に囲まれて島の深部にいることを実感した。

ちょっと開けた場所に出るところで、なんと後輩Sくん夫妻にばったり遭遇した。甲斐駒に行ったり、年末八ケ岳にいったりした仲である。知り合い誰か会うかな?と思ったが、まさかこんな近い友人にあうとは思っていなかった。記念撮影をしてお別れ。また登りに行こう!
 

モアイみたいな岩もあった。
進むと栗生岳へ登る道が見えた。流石に人がちらほらいる。日差しを遮るものがなく、4月というのに気分は夏。ちょっと熱中症になりそうで困った。栗生岳を越えて更に登ると、宮之浦岳山頂に辿り着いた。

これまで来た道がよく見える大展望だった。黒味岳からは見えなかった永田岳がよく見えてかっこいい。

今からこれを超えると思うと、辛い気持ちもよぎった。地図で見るより遠くデカい。
大小の陸地は、種子島口永良部島といった大隅諸島だ。モクモクと煙っているのは活火山を擁する硫黄島だろう。遠くには富士山と見紛うばかりに端正な開聞岳が浮かんでいた。これも地図で見る以上の雄大さを感じた。
島を見渡すという意味では、黒味岳に軍配が上がったのでみんなも寄り道してほしい。
 
しばらく休憩して永田岳へ向かう。途中、縄文杉の方へ向かう三叉路を左に行ったらスタートだ。これまでの道より、あまり人が入っていない雰囲気を感じた。相変わらず日差しを遮るものがない。このまま続くとヤバいな〜と思いながら歩く。
山頂直下に、永田岳山頂へ続く道があったがスルーしかけた。山頂から降りてきたおじさんから「山頂行かないの!?」と声を掛けられてハッとした。こっちへの道は、黒味岳より断然近かった。
山頂からは宮之浦岳がよく見える。また、見下ろした先にキレイな浜が見えた。あれが永田だ。エメラルドブルーとはこのことだなと思いながら随分高いところまで来たことに嬉しくなった。

山頂は巨大な岩の上。一部日陰になっていたところがあったので、しばらく休んで永田岳を鹿ノ沢小屋へ向かって下った。
 
この永田岳の下りが曲者で大変だった。急な傾斜で歩き辛い。途中、ローソク岩が見張らせたのは気持ちよかった。

岩の下りが、途中から藪道に変わる。引き続き歩き辛い。ウネウネとした木々が空恐ろしい上に道を分かり辛くしていた。

地図上は近いのに急な下りが続いて辟易していたら、不意に森が開けて小屋が現れた。鹿ノ沢小屋到着だ。テントを張る気でいたが、翌日大雨の予報だったので避難小屋泊することとした。

先客は外国人のお兄さん1名。熟練のスルーハイカーという感じで、木の板の上に寝っ転がって分厚い本を読んでいて様になっていた。
避難小屋は1階部分に6〜8人寝れそう、かつロフト部分にもうちょっと入れそうだった。年季が入っているが、堅牢で安心感があった。また沢山吊るせる紐やフックがあり、食糧をネズミに齧られるリスクも大幅に下げられそうだ。

水場は小屋の裏の沢である。浄水器を持ってきてよかった。トイレは、小屋の奥の道を進んだ所にあった。携帯トイレ用かと思いきや、コンクリの床にただ穴が開いてるだけのボットン便所だった。結果的に携帯トイレを使用しなくてよくなった。
 
このまま行動終了し、小屋で寝たりコーヒーを飲んだり飯を食べたりした。登山中は快晴だったが、段々と曇り空になってきて明日の悪天候を予感させる。
この日の避難小屋は3人だけかな、と思ったら、17〜19時にかけて4人駆け込んできて結果7人で泊まることとなった屋久島、コースタイム管理どうなってるんだ、と思ったが、これはまだマシであったと翌日思い知らされた。
 
■山行二日目。この日は朝から大雨。事前に見たヤマテン予報では午後から回復傾向とあったため、様子見しつつ停滞した。この間に積読してた方舟と、プロトコルオブヒューマニティを読み終わった。
方舟は、推理のギミックは面白いかもしれないが、人間も場所も推理のためのツール感が強すぎてあまり楽しめなかった。ノベルゲーとかにしたら、人物に多少感情移入できて楽しめると思う。書店、ちょっと持ち上げすぎ。
プロトコルオブヒューマニティは近未来での義足ダンサーの話。BEATLESS以来の長谷敏司作品。
AIや義足テクノロジーの面と、認知症を患う偉大な父の介護の面が同じ密度で描き込まれる中、義足の自分にしかなし得ないコンテンポラリーダンスの最奥へ向かう護堂恒明のことを、すぐ近くに感じられる不思議な小説だった。
 
13時前、霧吹きで吹いたような雨になってきたので新高塚小屋に向けて出発した。急な登りをよじ登って森林限界を越えると暴風に晒されて大変だったが、雨は降っていなかった。霧雨は木々から吹き飛ばされたものだったようだ。長いと思った永田岳に、45分程度で着いて一安心。そこから三叉路を左に進み新高塚小屋・縄文杉方面に向かった。稜線は風が強く大変だったが、森の中に入ると大分マシになった。
雨は降ってないとはいえ、足元から草まで至る所が水浸しで全身濡れた。特に上のレインウェアは機能不全で腕がびしょ濡れ、そこから滴った水が防水手袋内に侵入して最悪だった。また、いつの間にか靴の中も濡れていた。靴底から浸みた感覚はなかったため、恐らくずり落ちたゲイターの隙間から水が入り、足を伝って靴の中に入ったようだ。防水装備は気にかけていた分、失敗を突きつけられてモヤモヤした。帰ってすぐゲイターは買い換えた。レインウェアは検討中…ミレー ティフォンの手触りに勝るウェアがないが、色がよくない。今はファイントラックなどを検討している。
 
霧深い森を歩いていると屋久島に来た実感が再度湧いてきた。淀川口からの道、山頂付近、そして三叉路~縄文杉方面で山の表情が大きく異なり、一番屋久島らしさを感じられるのはこの道だった。

雨の中、一組すれ違ったので新高塚小屋の状況を聞いたところ、そんなに混んでないとのこと。平時は大混雑と聞いていたため、こればっかりは雨に感謝。
 
2時間半歩いて新高塚小屋へ到着した。避難小屋入口には屋根と衣類を干せる紐、ベンチがあり濡れた衣類と荷物を整理するのに便利だった。

避難小屋内は1階部分の上にロフトがあり広かった。ただこれ以上人が入ると手狭に感じたのと、せっかく担いできたテントを使いたいと思いテント泊することとした。小屋の横にある広い木のデッキがテント場だ。先客は4名(内2人は昨日同じ避難小屋に居た)。パッパと設営し、避難小屋入口で荷物を整理した。濡れたウェア類を小屋で干せて大変助かった。
トイレは3つあり、内2つはバイオトイレだった。またしても携帯トイレを消費せず済んだ。水場はテント場の奥にある小川。念のため浄水器を使った。小屋を大きな杉が見守っているようで感慨深かった。
 
南の島と言えど、4月の雨の夜は寒かった。寝袋に包まり8時前に寝ようと思ったら、ドヤドヤと老夫婦がテント場にやってきた。こんな時間に...?私が来た後おじさんが2人テント場に来ていたが、その仲間のようだ。ここからがひどくて、既に着いていたおじさんとガヤガヤと会話しながらテントを設営し始めたのだった。おばさんが「寒くて死にそうやわ~」と言っていたのが印象深かった。雨の夜8時に技量のない老人が避難小屋に到着するって遭難でしょ。会話を慎むなら百歩譲って理解するにしても、遠慮なくしゃべり続けており苛立った。思わず、静かにしてほしいと抗議したが、老夫婦のおじさんが「どうぞ寝てください」一言いうのみで腹が立った。私が騒いで他のテントの人達の迷惑となるのは本末転倒のため、不承不承引き下がり寝ようとしたが、いいタイミングで老人達が騒いだせいでうまく寝付けなかった。屋久島のような人の多い山はありえない人がいるという現実を知ると共に、こういう老人が遭難しているんだろう、と実感した。
 
■3日目、寝たか分からないまま朝5時前に起床し、濡れたテントを片付け避難小屋で朝食を食べた。避難小屋の方は3時過ぎには人がいなくなったそうで、5時過ぎには後輩K君とあと2人位しかいなかった。みんな宮之浦岳に日の出を見に行ったのかな?
この日は快晴、歩き出しと共に日の出となった。昨晩のモヤモヤとした気持ちが洗われた。

軽快に下ると高塚小屋に到着。ノッポの小屋で素敵な形だ。あとトイレの場所の見晴らしがよかった。
 
そこからちょっと下ると、明らかに樹皮の雰囲気が異なる樹が現れた。縄文杉である。

樹から離れたテラスからじっと眺める。樹齢3000年を超えるという説もある。燃えるような模様が最も印象深かった。他の屋久杉にはここまでのものはなかった。サイズは思ったよりも小さく、それ以上に積み重ねてきたものの重みを感じた。あわよくばもっと近くで見たかった...と思うばかり。
一歩一歩の積み重ねの末にこれがあるのを見れてよかった。ここにくることが出来てよかった。早朝で我々ともう1人位しかいなかったので、ゆっくりとみることが出来たのは更に幸運だった。
 
ここからは大樹の森に入る。屋久島の醍醐味はこの辺に詰まっているのだろう。大王杉、ウィルソン株、翁杉(跡)などがドンドンドンと現れて圧巻だった。大きくひび割れながらも在り続ける大王杉は印象深かった。ひび割れた黄金樹が実在したら、こんな感じなのだろうか。
ウィルソン株も空いててよかった。ハートマークのポイントは結構シビアだった。

また、樹木が絡み合い巨木を形成していたり、切り株や折れた杉から新たな巨大な杉が二本三本と生えている姿は命のサイクルを強く感じさせるものだった。

こんなところまで分け入らせてもらえることに感謝しながら歩いた
 
屋久島のハイライトである大樹の森を抜けると、レールの敷かれた舗装路に入った。トロッコ道である。多くの登山者が休憩しており、急に現実に戻ってきた気持ちになった。
 
ここからは白谷水雲峡への分岐まで、トロッコ道を歩く。ここではとにかく多くのツアー客とすれ違った。朝早く縄文杉に行って良かった。途中の森も緑に包まれており、巨大な杉の後もあり気分がよかった気持ちと、段々飽きてきた気持ちが同じ位あった。

そんな中現れた仁王杉は、猛々しい表情で私たちを迎えてくれた。
 
しばらく歩くと登りの登山道が現れた。ここから左折すると白谷水雲峡だ。今日は下りばかりだと思っていたのでげんなりしたが、森の雰囲気が大変良くて楽しく登ることができた。

また、公募で名付けられた屋久杉がいくつかあり穏やかな気持ちになった。特にかみなりおんじが気に入った。


森を登りきると有名な展望スポット・太鼓岩への道が現れる。直前の休憩所に荷物を置いて登る。10分程度やや急な道を登ると、太鼓岩へ到着した。岩の上からは、今まで登ってきた山々を一望できた。沢山歩いてきたことを強く実感できるのが、縦走の面白いところである。太鼓岩自体は、大台ヶ原の大蛇嵓と大変よく似た雰囲気の場所で大変見晴らしがよかった。

以降は白谷雲水峡のハイキングコースを歩く。意外と道は険しく、すれ違いも多かったので慎重に歩いた。途中、渡渉点があったが問題なく歩けた。増水時は確かに注意が必要である。

ゴールへの最短経路であるさつき吊橋が長らく使用不可となっているようで、やや遠回りをして飛流橋を渡り、美しい流れの横の舗装路を歩いてゴールの白谷雲水峡入口へ到着した。


バスまでかなり時間があったため、タクシーを使い宮之浦港へ向かい全行程を終えた。

下山後は宮之浦港周辺を探索した。屋久島観光センター2階のレストランで食べたトビウオ唐揚げが、食べ応えがあり大変美味だった。

この屋久杉観光センターにはバックパックが十分入るサイズのコインロッカーがあり、下山後の観光時に役立った。

 

この日は民宿に宿泊し、翌日宮之浦港周辺を探索するとともに、バスで永田浜を拝んで帰った。

民宿は非常に居心地がよく、外でテントも干すことができて助かった。売っていた木工製品は土産物かと思ったら、オーナー(祖父)の手作りということで大変驚いた。屋久杉のお盆がキラキラと輝いており購入した。コーヒーを運ぶお盆にしているが、積み重ねてきた歴史の一端がリビングにあるのが不思議な気持ちだ。ずっと大事にしていきた。

ウミガメ館を見学し、屋久島がアカウミガメの一大産卵地であることを初めて知った。丁度5月からは産卵シーズンに入るということで、翌日昼間にバスで永田浜を見に行ったのだった。永田岳から見下ろしたままのとても美しい海だった。砂浜には年季の入ったごみが思ったより打ち上げられており切なくなったが、この日もウミガメ保護活動をしているとみられる方が進入禁止エリアを作ったりしていたので、危険物は回収されているのだろう。
潮溜まりを探検するなどして宮之浦港へ戻った。
その他、宮之浦港周辺は栄えていたものの案外ふらっと入れるお店は少なく、その分歴史博物館やセンターの屋久島展示や映像などをとことん鑑賞した。結構詳しくなったと思う。
そうして最後まで歩き通して、夕方の飛行機で羽田空港まで帰ったのだった。
 

1か月で35日雨が降るとも言われる屋久島で、2日も晴れた山を歩けたのは幸運だった。今回5日滞在して雨に降られたのは1日だけだったので、5月は狙い目かもしれない。縄文杉、新高塚小屋までは雨の中でも十分楽しめると感じたが、それより先の森林限界を越えた先は過酷な登山になることが予想されるため、避難小屋も活用しながら晴れ間を狙って山頂を目指すのがよいと考える。また、縄文杉に至る最短経路である荒川登山口からの登山はどうしても混み合うため、時間に余裕があり登山経験がある方は淀川登山口から縄文杉を目指すのがよいだろう。それ以外にも沢山の登山道があるため、またいつか違うルートにもチャレンジしたい。

屋久島については今となっては大変良かったという気持ちでいっぱいだが、いざ島に生まれ、育ったとしたら島を早く出たいという気持ちになるかもしれない、と思った。恐らく刺激といえばパチスロくらいだろう。私の地元も過去住んでいた栃木も、大体パチスロしてる人達ばかりだったが、身近で得られる刺激がパチスロに収斂していく理由を体感したのだった。(初日の宿でパチスロの話を聞いた影響も大分あるが)